イエローノート

日々学び、日々遊び、日々挑み、日々成長。自分の学びの備忘録。

【読書録】「眠れないほど面白い空海の生涯」由良弥生著

空海最澄

この名前を知っている人は多いのではないでしょうか。日本史の教科書には必ず登場する人物です。平安時代の人ですので、比較的早い時期に教科書に登場するので覚えている人は多いと思います。ではどんな人物なのか、何をした人たちなのか、と聞かれたらどうでしょうか?試験対策で覚えた「真言宗」「天台宗」くらいのキーワードは出てくるかもしれませんが、教科書だけの知識ではこれ以上は難しいかもしれません。私もそうでした。本稿はこの本(と少々のネット検索)で学んだ知識の記録です。

 

最澄ってどんな人?

最長は天台宗の開祖です。最澄は新進気鋭の宗教家として若いころから有名で、当時主流の、しかし腐敗していた奈良仏教(南都六宗)を立て直そうとしていました。その最澄を支援したのが桓武天皇です。桓武天皇は最先端の仏教を学ばせるために最澄を唐に派遣しました。最新の仏教で腐敗した奈良仏教を論破するためです。しかし最澄が唐で学んだ仏教(中国天台宗)は隋の時代に隆盛したものであり、唐の時代には時代遅れのものとなっていました。当時最先端の仏教は密教でしたが、最澄にとって必要なのは奈良仏教を論破するための天台宗であり、密教は帰国直前に軽く学んだだけでした。帰国後、最澄は奈良仏教を立て直すために奔走しますが、後ろ盾である桓武天皇が体調を崩します。最澄天皇の快癒および鎮護国家を祈るため密教の加持祈祷を採用しました。これにより密教の布教が進み、最澄は日本最初の密教布教者として名声がさらに上がります。しかし最澄自身は密教を深く学んだわけではなく、理解不足・修行不足を痛感します。そこで最澄は、中国で密教阿闍梨あじゃり=教師・最高指導者)と認められ、密教の経典を大量に持ち帰った空海を頼るようになります。しかし後述するように、最澄密教を十分に習得することはできませんでした。

 

空海ってどんな人?

空海真言宗真言密教)の開祖です。最澄と違い前半生は無名で過ごします。最澄と同時期に入唐(にっとう)し、密教阿闍梨である恵果と出会います。恵果のもとで密教を完璧に学んだ空海は、自分自身も阿闍梨と認められ、大量の経典とともに帰国します。帰国後に待っていたのは最澄との交流です。理解不足を自覚する最澄は、空海から経典を借り出し、密教を学ぼうとしました。密教の布教のため、そして自分が日本における密教の唯一の大家(阿闍梨)であることを最澄に知らしめるため、空海は経典の貸し出しに応じます。しかし密教の修行は面授(師による直接の指導)を重んじます。空海と直接会うことなく、筆授(書物を読んで学ぶこと)しか行わない最澄に愛想をつかし、やがて交流が途絶えます。その後空海は、嵯峨天皇の支援を得て高野山金剛峯寺を建立し、ここを修禅道場とします。また天皇から東寺(教王護国寺)を与えられ、ここを真言密教の根本道場としました。空海の入滅後も「弘法大師信仰」は永く続き、皇族から庶民に至るまで広く信仰を集めました。

 

 

密教ってどんな宗教?

密教で重要なのは「即身成仏」という思想です。これは修行を行うことによって悟りを開き、人が生きたまま(現世で)仏になれるという思想です。輪廻転生を経て長い時間をかけなければ悟りは得られないとする従来の仏教(顕教)とは対照的です。「即身成仏」とは、この世のすべての根源である「大日如来」と自分自身が一体となることを自覚することです。そのために必要な修行が「三密」です。三密とは、「身密」(身体・行動を整える)、「口密」(言葉・発言を整える)、意密(こころ・考えを整える)を実践することです。この実践により「即身成仏」を目指すのが密教です。厳しい修業は必要ですが、来世ではなく、現世で利益を得られるところが受け入れられ、密教は広く庶民にも広がりました。

 

まとめ

私は無宗教な人間ですが、宗教の世界には興味があります。太古の昔から無数の宗教が生まれ、隆盛し、派生し、退廃してきましたが、世界3大宗教と呼ばれるキリスト教イスラム教・仏教はなぜ世界中に広まったのか? 他の宗教と何が違うのか? 宗教の根源的な目的は「社会の平和と人々の心の安寧を実現すること」と私は理解(勝手に解釈)していますが、なぜ宗教戦争と呼ばれるような紛争も引き起こしてしてしまうのか? 人はなぜ悪徳宗教に騙されてしまうのか? といったところが私の興味です。今後勉強して行きたいと思います。