イエローノート

日々学び、日々遊び、日々挑み、日々成長。自分の学びの備忘録。

【備忘録】コンプライアンスとは何か?


最近コンプライアンスに関する学習動画を見たのですが、その中ではっとさせられる言葉に出会いました。

 コンプライアンスの本質は「プライド」である。

 この言葉を聞いた時、私は深くうなずいてしまいました。

 

コンプライアンス」という言葉を日本語に直す場合「法令遵守」という言葉を使うことが一般的です。意味するところは、法令だけではなく倫理や社会規範なども含めた広い意味での社会のルールを守ることだと言えると思います。

コンプライアンスという言葉が一般的になったのは2000年代からだと思いますが、いろいろな事件や不祥事が発覚するたびに「コンプライアンス」という言葉が社会的に注目されるようになりました。それによってあらゆる分野でコンプライアンス重視の姿勢が強調されるようになったと感じています。個人的にはこのコンプライアンスという言葉が日本全体の生産性向上を阻み、国力低下を招いた大きな要因ではないかと考えています。具体的に言えば、日々のあらゆる行動が「ルールから逸脱していないか」という目線で監視されるため、各個人・各企業が委縮してしまい、「ルールの範囲内で行動する」「ルールに書かれていないことはしない」という行動様式(=思考停止状態)になってしまったということです。なぜこうなってしまったのか? 多くの日本企業が社会的な要請であるコンプライアンスを「ルールから逸脱しないこと」と捉え、ルールを守ること自体を目的化してしまったからだと思います。このような環境からAmazonGoogleのような企業が生まれてくるはずがありません。

ではコンプライアンスの本質的な目的とは何か? コンプライアンスを手段として何を目指すのか? 私の解釈では「社会に対して恥ずかしくない行動を常態化し、公平で活力のある社会を創ること」だと考えます。決して「ルールを守ること」ではありません。自分の頭で考え、誰に対しても恥ずかしくない行動をしていれば、自然にコンプライアンスは達成されます。そしてその行動の根源となるのが「プライド」です。プライドは自分の知識や経験に基づいて、自分の頭で考え、体得・体現するものです。他人から教わったり、与えられたりするものではありません。「自分のプライドに基づいて、正しい行動をする」。これがコンプライアンスの真髄ではないでしょうか。

冒頭に紹介した「コンプライアンスの本質はプライドである」という言葉は、聞いた瞬間に私の頭にズドンと響きました。何度も反芻しました。コンプライアンスはとても重要なもののはずなのに、私のなかでは「つまらないもの」「面倒なもの」というイメージしかありませんでした。しかしこの言葉を聞いて自分の中にあったモヤモヤが晴れた気がしたのです。自分の生きる指針のひとつとして大切にしていきたい言葉になりました。