イエローノート

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【愚考録】政治に期待してはいけないこと

前項では「政治に期待すること」について書きました。それを考える中で「政治に期待してはいけないこと」についても考えたので、記録しておきたいと思います。


政治に期待してはいけないこと ~ 正しさ

政治に期待してはいけないことは「正しさ」だと考えます。なぜか?すべてにおいて正しい人間などいないからです。ごくごく当たり前のことだと思いますが、こと政治関係者(議員、官僚)に関しては国民(特にマスコミ)は【過度な】正しさを求める傾向が強いように感じます。

 

例えば「政治資金」。たった数万円の記載ミスでも発覚すると大騒ぎ。「説明責任!」と騒ぎ立てるマスコミ。「任命責任!」と総理大臣を追及する野党。これ、どうなんでしょうか? 記載ミスは確かに正しいことではありません。政治家の不正蓄財や不正流用を防止するために厳しくチェックすることも必要でしょう。しかし重箱の隅をつつくようなミスに大騒ぎすることで、何が生まれるのでしょうか?

 

例えば「不倫」。既婚者の不倫疑惑が浮上すると「謝罪会見を!」と騒ぎ立てるマスコミ。それに乗って「任命責任だ!」と総理大臣を追及する野党。これもどうなんでしょうか?言うまでもなく、不倫は正しいことではありません。当事者にとっては大変なトラブルであることは間違いありません。しかし当事者以外の人には何の関係もないのではないでしょうか。謝罪会見で「世間の皆様にご迷惑をお掛け致しました」という謝罪のコメントをよくみかけますが、誰が迷惑を被ったのでしょうか。謝罪は誰に対する謝罪なのでしょうか。当事者以外の関係者(所属する政党・団体、支援者、スポンサー等)はそもそも何の迷惑もしていないのに、マスコミが勝手に大騒ぎした結果として、多大な迷惑を被っているのではないでしょうか。不倫疑惑報道にはどんな意義があるのでしょうか?

 

一方、マスコミや野党の立場に立てば、わからなくもない事情があります。マスコミが不正や不倫を報道するのは、それが「売れるニュース」だからです。野党が不正や不倫を追及するのは政策論争で戦うより「簡単」だからです。しかし生産性が高い行為とは言えません。

 

何を期待するか ~ よい仕事

私は政治家や官僚の方たちには「正しい仕事」ではなく「よい仕事」をして欲しいと思っています。私が考える「よい仕事」とは未来が明るくなるような仕事です。何か問題があれば解決し、不具合があれば改善する。「よい」の基準は人それぞれかもしれませんが、それを皆で議論し、より多くの人が希望がもてる仕事。昨日より今日、今日より明日が良い方向に向かっているという前向きな感覚が得られる仕事が「よい仕事」ではないでしょうか。一方「正しい仕事」とはどんな仕事でしょうか? 仕事に正しさを求めると、途端に窮屈でつまらないものになってしまう気がします。正しさを意識すると「正しいことをしよう」というよりも「正しくないことをしないように気を付けよう」という後ろ向きな意識になりがちです(私だけでしょうか?)。世の中にコンプライアンス(法令順守)という言葉が一般化するほど、世の中が窮屈なものになってしまった感があります。私の感覚では「よい」の基準は人それぞれであり「よい仕事」の方向性は無限にあると思います。進むべき方向性が無限にあるので、社会に活力が生まれるのだと思います。一方「正しい」の基準も人によって違いはあると思いますが、それは「世間の常識」の最大公約数的なものであり、「正しい仕事」の範囲は非常に狭いものであるように感じます。窮屈な世界から新しいものや楽しいものは生まれてこないのではないでしょうか。

私は政治には「よい」「大きな」仕事をしてほしいと思っています。正しさを求めて「正しくないこと」の指摘合戦をしていては政治が委縮するだけです。国民にとって利益があるとは思えません。政治は「正しい人間コンテスト」ではありません。国民は政治の「正しさ審査員」ではありません。「よりよい政治」が行われるように、国民は国の構成員として政治に参加するべきだと思います。