イエローノート

日々学び、日々遊び、日々挑み、日々成長。自分の学びの備忘録。

【愚考録】政治に期待すること ~ 長期安定政権、教育投資、セーフティネット


本日(9/16)、菅義偉さんが第99代総理大臣に就任しました。約8年続いた安倍政権を継承する(と言われている)新しい政府が誕生します。せっかくの機会ですので、私が政治に期待することを整理してみました。

 

政治に期待すること① ~ 長期安定政権

まず期待するのは「長期安定政権」です。「長期安定」は政治的チカラの源泉だと思います。小泉政権も安倍政権も、在任中に様々な問題が発生しましたが、自民党内の権力構造をうまくコントロールして長期政権に繋げました。そして小泉政権は「郵政改革」、安倍政権は「集団的自衛権行使の憲法解釈変更」など(是非はともかく)歴史的な改革を成し遂げています。大きな政治的成果を上げるにはやはり政権の長期安定は不可欠です。

「長期安定」は特に外交面で大きなチカラを発揮すると思います。安倍首相は「地球儀を俯瞰する外交」を標榜し、多くの国との外交を行いました。世界で最も影響力が大きいトランプ大統領との良好な関係を築けたのも、G7始め世界の主要国トップと十分に渡り合える関係を既に築いていたからだと思います。長期政権は内政的にも外交的にも大きな成果を出すための必須条件だと考えます。菅総理大臣にも是非長期政権を築いて欲しいと思います。

 

 

政治に期待すること② ~ 教育投資

少子高齢化による国力低下が叫ばれて久しいすが、これをカバーするための方策は「教育」しかないと思います。日本の現状を考えれば、再びベビーブームを起こし、人口ボーナスによる国力回復を望むことは考えにくでしょう。そこで鍵となるのが一人当たりの生産性です。人口が減っていくのは間違いないのですから、国力を上げるには一人一人がより多くの価値を生み出さなければなりません。そのためには生産性が高い人材を多く育成しなければなりません。(相対的に)生産性が低い人材には、生産性を高めるための技術やツールでサポートする必要があります。そうやって日本全体の生産性を底上げしなければ、世界との競争に勝てるはずがありません。


その生産性を高める方法は「教育」しかないと考えます。熱意と創意がある人たちにどんどん教育投資を行い、世の中にどんどんエリートを排出していく。そのエリートたちが社会の中核に進出し、社会問題を解決していく。それによって相対的に生産性が低い人たちの生産性を底上げする。結果、社会全体の生産性が向上する。これからの日本にとって、国力を上げる方法はこれしかないと考えます。


その意味で、国家公務員の待遇はもっともっと改善されるべきだと思います。エリートたちが積極的に国家公務員となり、世界と戦える日本を創り上げていくのが理想です。現状をみると国家公務員は人気のない職業になってしまっています。平時は見向きもされず、何か問題が起こればヒステリックに糾弾される。成果を上げても国民からの敬意は得られない。政治家からも敵とみなされる。長時間労働が当たり前。そもそも給料が安い(仕事の難易度比で)。これではエリートが積極的に公務員になるはずがありません。今のままでは優秀な人材は民間や海外に流れてしまい、せっかく育成した優秀な人材の能力が局地的にしか還元されません。優秀な人材を排出すべく教育投資をどんどん行い、その能力や成果が社会全体に還元される形が理想です。教育なくして日本の明るい未来はあり得ません。菅総理大臣には積極的な教育投資を期待します。

 

政治に期待すること③ ~ セーフティネットの拡充

前項で教育投資によるエリート育成を期待すると述べましたが、当然ながら全員がエリートになれるわけではありません。様々な理由で十分な教育を受けられない人たちや、そもそも勉強する気がない人たちがいるのも現実です。人間社会は良くも悪くも競争社会ですので、競争によって社会に活力が生まれる一方、競争敗者が必ず生まれてしまいます。政治の役割は競争敗者の再挑戦をサポートすることだと考えます。敗者を支援することは公的な立場である政治にしかできないからです。敗者をサポートし、再挑戦する意欲を生むことで、社会全体に活力が生まれてくると思います。


ただし注意すべき点は、サポートすべき対象は「人」であって「組織」ではないという点です。競争に負けるということは、その組織は競争相手と比べて「非効率」「生産性が低い」ということです。そういう組織を公的に支援することは社会全体の効率・生産性を下げる行為です。リーマンショックの時など大企業が倒産の危機に瀕した場合、公的資金で支援する理由のひとつとして「Too big、Too fail」(影響が大きすぎてつぶせない)という論理がよく見られますが、これはナンセンスだと思います。大企業が倒産した場合の影響は確かに大きいです。しかしそれは一時的なものです。倒産した会社の従業員やその家族は確かに大きなダメージを受けますが、生き残るために再就職なり起業するなり「次の行動」をすぐに取るはずです。会社が倒産するのは組織対組織の競争の敗北(=経営者の責任)であって、個々の従業員が決定的に劣っていたわけではないと思います。様々なスキルを持った元従業員が、そのスキルを必要とする新しい組織に素早く吸収されれば社会的な生産性は上がります。倒産すべき企業が公的な支援で生き残るということは「社会の非効率」が存続してしまうということです。公的支援の対象は「組織」ではなく「人」だと考えます。菅総理大臣には「人」へのセーフティネットの拡充を期待します。

【愚考録】無知の知 ~ 学びはなぜ必要か

 

何かの記事で見かけた言葉無知の知。哲学の父といわれるソクラテスの名言です。
言葉自体は知っていましたが、ふと見かけたその言葉の意味を最近噛みしめています。奥が深い言葉だと思います。


無知の知」とは?

無知の知」とは、自分がいかに「わかっていないか」「知らないか」を自覚することです。ソクラテスは「何でも知っている人」より「自分が知らないことを知っている人」の方が優れていると考えました。確かにそう思います。実際、この世の中の物事について「すべてを知っている人」なんているわけがありません。もし仮に「自分はすべてを知っている」と思っている人がいるとしたら、それがその人の限界ということでしょう。「すべて」ということは、知るべきことが有限(数えられる)ということです。「すべて」を知ってしまったら、それ以上知るべきことがないということになります。つまり、その人の限界が来たということです。それ以上の成長は望めません。なんだか屁理屈のような話になってしまいましたが、何を言いたいかというと「井の中の蛙」になってはいけない、ということです。

 

■なぜ「無知の知」が必要か?

井の中の蛙 大海を知らず」という言葉があります。狭い井戸の中で生まれ育った蛙は、自分が住む井戸の中が世界のすべてだと思い込み、外の世界には大きな海があることを知らない=見識が狭い、という中国の古典「荘子」由来の故事成語です。この言葉自体は有名な言葉なので知っている方も多いと思いますが、この言葉に「続き」があることをご存じでしょうか? 私は全く知らず、この言葉について調べるうちに初めて知りました。その続きとは下記のようなものです。

 

 ~井の中の蛙 大海を知らず 

          「されど空の蒼きを知る」
          「されど天の高きを知る」
          「されど地の深さを知る」
          「ただ天の広さを知る」

 

続きの部分は中国由来ではなく、日本に伝わった後に付け加えられたものだそうです。この言葉を知ったとき、私は深い感銘を受けてしまいました。この「続き」について私はこう解釈しました。

確かに井の中の蛙になってはいけない。しかし自分に見えていないものは知りたくても知りようがない(知る術がない)のも事実である。だからこそ「無知の知」を自覚し、謙虚な姿勢で他者の知恵も借りながら、自分の視野を広げる必要がある。視野を広げていれば、新しいものが自然と見えてくる。 

ここまで考えて、井の中の蛙についていろいろと想像してみました。

 

井の中の蛙が大海を知るにはどうすればよいか?

井戸の中にいる蛙が普段目にするものは、井戸の壁や水面だけでしょう。その中でえさとなる虫が飛んでくるのを待っているだけです。(おそらく)蛙の関心事は食べ物だけでしょうから、毎日満足に食べることができれば他のことをする必要はありません。しかし虫が飛んでこなくなると、おなかをすかせた蛙はえさを探し始めます。普段目にしている壁や水面だけでなく、今まで気にもとめなかった壁のすき間や水中も探し始めるかも知れません。虫がどこからやってくるのかを考える始めるかもしれません。そして、ある蛙はふと上を見上げた時に「空の蒼さ」や「天の高さ」に気づくかもしれません。日によって空の色が変わることに気づくかもしれません。雨がふり、井戸の水かさが増えるのは、空の色が黒い時であることに気づくかもしれません。それに気づいた蛙は雲の存在に気づくかもしれません。そしてその雲が何なのか、どこから来るのか、考えはじめるかもしれません。また別の蛙は、水面を泳いでいるときにふと水中を見つめ「地の深さ」に気づくかもしれません。そして底があることにに気づくかもしれません。底から水が湧き出ていることに気づくかもしれません。それに気づいた蛙はその水がどこから来るのかを考えはじめるかもしれません。

この二匹の蛙は、いくら考えても海の存在は想像することすらできないでしょう。しかしある日、外の世界を知っている蛙がこの井戸に飛び込んできたらどうなるでしょう。その蛙が山や川の存在を教えたら? 川が海につながっていることを教えたら? 外からきた蛙にとっては、雨が降り、川が流れ、海に流れ着くことはごく普通の情報かもしれません。しかし井戸の中の蛙にとっては全く未知の情報です。外の世界の存在すら知らなかったのですから。この二匹の蛙は外の世界をみてみたいと思うかもしれません。でもどうやって? 普段であれば井戸が深すぎて外に出ることはできないでしょう。しかしこの二匹の蛙は、雨が降れば水かさが増えることをすでに知っています。空の色の変化によって、雨が降るタイミングを予想できることも知っています。雨の後は底から湧き出る水の量も増えることがあることも知っているかもしれません。それを知っていれば、水かさが増えた時に外に出るための準備ができます。「その時」はいつ来るかわかりません。しかし準備さえできれいれば、チャンスが来た時にそれを実現できる可能性は高まります。十分な準備をしていた二匹の蛙は、台風一過の晴天のもと、外の世界を目にすることができるかもしれません。

この話はすべてが「たられば」です。「可能性はゼロではない」という話です。しかしこの二匹の蛙が「ふと上を見上げなかったら」「ふと水中を見つめなかっらたら」、外の世界を意識することもなく、自力で外に出られる可能性は「ゼロ」です。そもそも外の世界の存在すら知らなかったのですから、外に出ようという動機が生まれるはずがありません。この二匹の蛙も、おなかがすいていなければ新しい行動は何もしなかったでしょう。寿命が来るまで平穏に暮らしたはずです。しかし「えさを探さなければ」という必要に迫られて行動した結果、新しい世界に飛び出す可能性を手にしたのです。あくまで「ゼロではない」可能性ですが。

 

なぜ学びが必要か?

我々人間は考える動物です。高度な思考ができる生き物です。しかし現状に満足してしまっている人(おなかがすいていない蛙)は新たなことを考えることはできません。新しいことに興味・関心がない人に、アイデアの芽となる情報は目に入ってきません。変化が激しい時代です。現状維持は後退を意味します。だからこそ、いま必要なのは「無知の知」を自覚することだと思います。「自分はまだまだ世の中のことがわかっていない」「新しいものをどんどん取り入れたい」というマインドセットがあれば、自然といろんな情報が目に入ってくると思います。情報のコストがものすごく安くなっている時代ですので、必要な情報はいくらでも集められます。ただし、情報を集める(インプット)だけでは不十分です。集めた情報を、自分というフィルターを通して活用(アウトプット)することが大切です。アウトプットして初めて「情報」が「知恵」になります。

アウトプットとは行動することです。実際にやってみる、実物を食べてみる、現地に行ってみる、現物を使ってみる、意見を誰かに話してみる、自分の頭で解決方法を考えてみる、などなどなど。とにかく「自分の体と頭」を使って経験することです。見て、聞いて、読んで(=インプットして)終わりではなく、自分でも行動する(アウトプットする)ことが大切です。何度も言いますが、その経験値が「知恵」になります。変化が早く、激しい時代ですので、「自分の知恵」を持っていないと、世の中の激しい動きに翻弄されてしまい、豊かな人生を送れないのではないでしょうか。

例えば「キャッシュレス決済」。2020年9月現在、使えるお店や使う人はかなり増えてきたと思いますが、それでも普及率(実利用率)は3~4割程度ではないでしょうか(私の体感ですが)。私の生活圏は東京都内~横浜ですが、大都市圏でもこれぐらいですので、全国的にはまだまだなのだと思います。なぜ普及しないのでしょうか? 日本人は現金志向が根強いとよく言われますが、本当にそうなのでしょうか。私の周囲で見聞きする範囲で言えば、使わない理由は「トラブルや犯罪が怖い」「仕組みがよくわからない」「アプリ等を準備するのが面倒」「なんとなくイヤ」というものが多いように感じます。いずれも「現金の方が便利・効率的」という積極的な理由ではなく、「なんとなく不安」という情緒的なものです。これはお店側でも利用者側でも同じです。こういう話を見聞きすると、私はいつも「一回使って見ればいいのに」と思ってしまいます。合理的に考えれば、キャッシュレス決済を使わない理由はないのではないでしょうか(簡単、手軽、お得、早い、衛生リスクも軽減)。それでも使わないのは「使ってみた」「簡単だった」「得した」という経験がない(経験しようとしない)からだと思います。経験がなければ「よくわからない」のも「なんとなく不安」なのも当然です。「トラブルや犯罪が怖い」というのもわからなくはないですが、実際どれだけのトラブルが起こっているでしょうか。トラブルや犯罪に巻き込まれる可能性はゼロではないですが、それは現金でも全く同じです。「よくわからない」「なんとなく不安」という理由で何も行動しなければ、その間に世の中はどんどん先に進んで行ってしまいます。気が付いた時(やっと使って見ようと思った時)には、世の中ではさらに新しいサービスが生まれ、既存サービスが陳腐化してしまい、全くメリットが得られないという事態になることが容易に想像できます。少しでも使った経験があれば、サービスの仕組みを理解でき、「簡単、便利」「使うと楽しい」「でもここが使いずらい」「もっとこうすればもっと良いのに」という感想が生まれます。こういう経験がその分野のリテラシーを高めることにつながります。

私が考える「学び」とは「経験値を増やすこと」です。学校やセミナー、教科書などで勉強することだけが学びではありません。とにかく自分で経験してみること。そのすべてが学びだと思っています。自分の経験値を積み上げていって、自分なりの考え方や行動の仕方をアップデートしていく。幸せの基準は人それぞれですが、私の感覚では、自由で楽しい人生を送るには学び続けること(=無知の知を自覚すること)が不可欠だと思います。

 

最後に名言をもう一つ。

 

実るほど頭を垂れる稲穂かな

 

いろいろな解釈があると思いますが、私はこの言葉を「成熟した人ほど、謙虚な姿勢で様々なことを学び、さらに成長することができる」と解釈しています。ぜひこうありたいと思っています。

【愚考録】散歩はなぜ楽しいのか

最近よく散歩をしています。妙に楽しいのです。ただ歩くだけなのに。「次の週末はどこを散歩しようか」と考えるだけでワクワクしている自分がいます。なんなんでしょう、この感覚。新しい趣味の芽を見つけた、ということでしょうか。それとも、ただ単に年を取った、ということでしょうか。不思議なので、なぜ散歩が楽しいのか考えてみました。

 

楽しさの要因

①新鮮さ

「散歩しよう」とふと思いついたのは、緊急事態宣言後の自粛期間中。「散歩する人が増えている」というニュースを見て自分もやってみようと思いました。「みんながやってるから自分もやる」という、私が大嫌いな動機・・・。まあ良しとしましょう(笑)。やってみて思ったのは、やっぱり自分にとって新しいチャレンジは楽しいということ。ただの散歩なので、チャレンジというほど大げさなものではありませんが。

 

②即実行

振り返ってみると、行先もろくに考えずに家を飛び出したのが良かったのかもしれません。「思いつき→即実行」が良かったのだと思います。どこに行こうかと下調べでもはじめてしまったら、調べているうちに”熱”が冷めてしまい、楽しくなかったかもしれません。「鉄は熱いうちに打て」とはよく言ったものです。

 

未知との遭遇

出発時点で決めていたのは「なるべく知らない道を歩く」ということでした。知らない道を歩けば、目に映るのは当然はじめてみるものばかり。普通の道路、普通の草木、普通の家、普通のお店。特別なものはほとんどありませんが、なんとなくワクワクする。ちょっと特別なもの(川や橋、大きな公園、寺社仏閣、大きな建物など)を発見するとすごくワクワクする。まさに未知との遭遇。たまりません。

 

④思考の時間

散歩中は「歩くこと」と「考えること」しかできません。これがすごくイイ! ここ数年、自分の手には必ずスマホがあり、隙あらばスマホをみている状態です。別に悪いこととは思っていませんが、スマホをみている時間はほとんどがインプットの時間です。アウトプットの増加を目指している自分としては、理想的とはいえない状態です。一方、散歩中はスマホをみることが物理的に不可能な状態です。考えることしかできません。まさに理想的なアウトプットの時間です。しかも有酸素運動と視覚的な新鮮さ(未知との遭遇)によって脳がいろいろな刺激を受けるので、様々な「思いつき」が生まれます。くだらないものばかりですが、たまに自分でも「おぉ!」と思うようなものもあります。人に言えるようなものではありませんが。散歩は「アイデアの創出」と「思考の整理」に最適な時間かもしれません。

 

⑤コストがかからない

これも大きな要因だと思います。何かを「やってみよう!」と思い立った時に、それがそれなりにお金や時間のかかるものだと、やはり色々と考えてしまいます。その点、散歩はお金が大してかかりません。必要な場合でもせいぜい数百円(2~3駅分の交通費とペットボトル1本)。時間も全く自由。時間が許す限り、気の向くまま、こちらへトコトコ、あちらへふらり。気分が乗らなければ、すぐに帰ってもよし。なんて素晴らしいのでしょうか!

 

まとめ

ここまで考えてみると、散歩は私にとって最高の趣味になるような予感がしています。幸いなことに、自宅周辺には全国的にも有名なスポットがたくさんあります。有名スポットを回りつつ、その周辺の無名スポットを発掘し、自分なりの散歩マップを創って行きたいと思っています。

 

【読書録】「眠れないほど面白い空海の生涯」由良弥生著

空海最澄

この名前を知っている人は多いのではないでしょうか。日本史の教科書には必ず登場する人物です。平安時代の人ですので、比較的早い時期に教科書に登場するので覚えている人は多いと思います。ではどんな人物なのか、何をした人たちなのか、と聞かれたらどうでしょうか?試験対策で覚えた「真言宗」「天台宗」くらいのキーワードは出てくるかもしれませんが、教科書だけの知識ではこれ以上は難しいかもしれません。私もそうでした。本稿はこの本(と少々のネット検索)で学んだ知識の記録です。

 

最澄ってどんな人?

最長は天台宗の開祖です。最澄は新進気鋭の宗教家として若いころから有名で、当時主流の、しかし腐敗していた奈良仏教(南都六宗)を立て直そうとしていました。その最澄を支援したのが桓武天皇です。桓武天皇は最先端の仏教を学ばせるために最澄を唐に派遣しました。最新の仏教で腐敗した奈良仏教を論破するためです。しかし最澄が唐で学んだ仏教(中国天台宗)は隋の時代に隆盛したものであり、唐の時代には時代遅れのものとなっていました。当時最先端の仏教は密教でしたが、最澄にとって必要なのは奈良仏教を論破するための天台宗であり、密教は帰国直前に軽く学んだだけでした。帰国後、最澄は奈良仏教を立て直すために奔走しますが、後ろ盾である桓武天皇が体調を崩します。最澄天皇の快癒および鎮護国家を祈るため密教の加持祈祷を採用しました。これにより密教の布教が進み、最澄は日本最初の密教布教者として名声がさらに上がります。しかし最澄自身は密教を深く学んだわけではなく、理解不足・修行不足を痛感します。そこで最澄は、中国で密教阿闍梨あじゃり=教師・最高指導者)と認められ、密教の経典を大量に持ち帰った空海を頼るようになります。しかし後述するように、最澄密教を十分に習得することはできませんでした。

 

空海ってどんな人?

空海真言宗真言密教)の開祖です。最澄と違い前半生は無名で過ごします。最澄と同時期に入唐(にっとう)し、密教阿闍梨である恵果と出会います。恵果のもとで密教を完璧に学んだ空海は、自分自身も阿闍梨と認められ、大量の経典とともに帰国します。帰国後に待っていたのは最澄との交流です。理解不足を自覚する最澄は、空海から経典を借り出し、密教を学ぼうとしました。密教の布教のため、そして自分が日本における密教の唯一の大家(阿闍梨)であることを最澄に知らしめるため、空海は経典の貸し出しに応じます。しかし密教の修行は面授(師による直接の指導)を重んじます。空海と直接会うことなく、筆授(書物を読んで学ぶこと)しか行わない最澄に愛想をつかし、やがて交流が途絶えます。その後空海は、嵯峨天皇の支援を得て高野山金剛峯寺を建立し、ここを修禅道場とします。また天皇から東寺(教王護国寺)を与えられ、ここを真言密教の根本道場としました。空海の入滅後も「弘法大師信仰」は永く続き、皇族から庶民に至るまで広く信仰を集めました。

 

 

密教ってどんな宗教?

密教で重要なのは「即身成仏」という思想です。これは修行を行うことによって悟りを開き、人が生きたまま(現世で)仏になれるという思想です。輪廻転生を経て長い時間をかけなければ悟りは得られないとする従来の仏教(顕教)とは対照的です。「即身成仏」とは、この世のすべての根源である「大日如来」と自分自身が一体となることを自覚することです。そのために必要な修行が「三密」です。三密とは、「身密」(身体・行動を整える)、「口密」(言葉・発言を整える)、意密(こころ・考えを整える)を実践することです。この実践により「即身成仏」を目指すのが密教です。厳しい修業は必要ですが、来世ではなく、現世で利益を得られるところが受け入れられ、密教は広く庶民にも広がりました。

 

まとめ

私は無宗教な人間ですが、宗教の世界には興味があります。太古の昔から無数の宗教が生まれ、隆盛し、派生し、退廃してきましたが、世界3大宗教と呼ばれるキリスト教イスラム教・仏教はなぜ世界中に広まったのか? 他の宗教と何が違うのか? 宗教の根源的な目的は「社会の平和と人々の心の安寧を実現すること」と私は理解(勝手に解釈)していますが、なぜ宗教戦争と呼ばれるような紛争も引き起こしてしてしまうのか? 人はなぜ悪徳宗教に騙されてしまうのか? といったところが私の興味です。今後勉強して行きたいと思います。

 

 

【愚考録】自分の頭で考える

「自分の幸せ」は自分で考える時代

人生は選択の連続です。今日何を食べるか、誰と遊ぶか、何時に寝るかなど日々の小さな選択から、進学や就職、転職、結婚など人生の大きな岐路になる選択まで様々です。一昔(20~30年?)前までは「幸せな人生」の考え方はある程度固定化され、それが広く世間で共有されていました。大学を出て大手企業に就職し、結婚して家庭を持ち、定年まで勤めあげて、退職金や年金で悠々自適の老後を送る、というロールモデルです。実際、一定の努力をしてこの路線に乗りさえすれば、幸せな人生が約束されたも同然の時代がありました。すべての人が実現できるわけではないものの、「目指すべき道」として価値観が固定化されていた時代です。今の60~80歳の世代は実際にこの路線を歩んだ世代であり、その下の40~60歳の世代は親から「この道を目指しなさい」と教育された世代です。

しかし、さらにその下の20~40歳の世代はどうでしょうか。そんなロールモデルは完全に崩れ去っています。大学を出ても希望通りに就職できず、低所得のため家族を持つことがリスクになりかねない。終身雇用が崩壊し、年金・退職金も予定通りもらえるかわからない。時代の変化が激しく、5年後、10年後の自分の状況を想像することが難しい。こんな時代なので(若い世代にとっての)「幸せな人生」の定義は大きく変わっています。というより誰もが共有できる「幸せな人生」などなくなっているのです。もちろん先ほどのロールモデルのような人生を望む人は今も多いかもしれません。しかし実現できる人は(私の体感では)ごく少数であり、多くの人が目指す「べき」道ではなくなりました。自分の行く道は自分で考えなければならないのです。


なぜ、自分の頭で考えることが重要か?

このような時代、最も必要なスキルは「自分の頭で考えること」だと思っています。
先ほどのロールモデルが有効であった時代は、「人生の選択」についてあまり考える必要はありませんでした。大学に行くために「必要な」勉強をする、「よい」会社に入るために「よい」大学を目指す、という場合の「必要な」や「よい」の中身は決まっていて、それが世の中で共有されていたので自分で考える必要がなかったのです。しかし今の時代は、何が必要で、何がよいか、は各個人の状況によって大きく異なるはずです。でも何も考えていない人は世の中にあふれる流行りのアドバイスに踊らされてしまいます。「これからは○○の時代だ」「いま身に着けるべきスキルは○○だ」という宣伝文句には注意が必要です。例えば英語やプログラミングなどのスキルアップ。例えば転職や起業などのキャリアアップ。確かにどれも有益なものだと思います。でもよく考えてみてください。

 

  それは「本当に」あなたにとって必要なものですか?

 

こういう宣伝文句が本や雑誌で書店に並ぶ頃には、その○○はすでに価値が低下している場合が多いと思います。多くの人がその価値に気づいてしまうからです。時間やお金の多くをその○○に費やしたにも拘わらず、自分が一定のレベルに達した時、その○○はすでに世の中ではコモディティ化している(価値が低下している)可能性が高い。それに投入した時間やお金が無駄になってしまいます。その経験を「学び」として自分の成長につなげられれば良いのですが、何も考えない人は次の○○に飛びついて同じことを繰り返してしまうでしょう。

そうならないために必要なものが「自分の頭で考えること」だと思います。
人生は選択の連続ですが、誰でも自分にとって「よい選択」をしたいはずです。難しいのは「何がよいのか」を判断することです。その判断をするためにいろいろな人のアドバイスや事例を参考にして真似することも多いと思います。それは当然のことです。肝心なのは「アドバイスに従うだけ、真似するだけ」ではダメだということです。様々なアドバイスや事例をもとに、自分の状況を踏まえて「本当に自分に必要な選択」をしなければなりません。他人のアドバイスに盲目的に従っていると、貴重な資源である時間やお金を無駄にすることになってしまいます。

余談ですが、今回のコロナ騒動は「考えている人」と「考えていない人」の差が大きく出る状況だと思います。感染拡大防止のために、不要不急の外出を控え、行動を自粛・抑制するという要請は間違っていないと思います。しかしどう自粛・抑制するかは各個人で考える必要があります。「家から一歩もでない」が可能な人はそうすればよいし、外出が必要な人は必要な感染予防対策をとったうえで外出すればよいのです。自粛期間中に現れた「自粛警察」は自分の頭で考えられない人たちなのだと思います。上からの指示に盲目的に従い、指示から外れた人を糾弾する。小学生が先生に言いつけるのと同じ構造です。「こうしなさい」と言われたらその通りにするだけ。何が正解か解らない今回のような状況では、必要なのは自律的に考えて自分の責任で行動する姿勢だと思います(好き勝手すれば良いという意味ではありません。念のため)。


自分の頭で考えるにはどうすればよいか?

自分の頭で考えるために必要なのは、「大量のインプット」「批判的な思考」「想像力」だと思います。

1つづつみていきましょう。まずは「インプット」。これは説明不要でしょう。何らかのテーマについて「勉強しよう」「考えてみよう」と思ったときに、多くの人が最初にする行動が「調べる」でしょう。つまりインプットです。思考のベースとしてインプットは欠かせません。例えばキャッシュレス決済を初めて使おうと考えたとき、あなたならどうするでしょうか? 大半の人は、各アプリの説明資料を読んだり、「いま使うべき決済アプリ5選!」などのネット記事をみて比較したり、すでに使っている人に評判を聞いたり、ということをすると思います。そうやっていろいろな情報を集めてから、自分の中で情報を整理し、自分に一番合いそうなアプリを選ぶのだと思います。

次に「批判的な思考」についてです。考えるための準備として様々なインプットをすると思いますが、その時大切なのは「そのインプットを鵜呑みにしない」という姿勢です。インプットした情報に対して「本当にそうか?」「それは自分にとって必要なものか?」「別の考え方はないのか?」という視点を持つことが大切です。なぜなら、その視点がないと自分で考えたことにならないからです。インプットした情報を何の加工もせずにそのままアウトプットした場合、その情報は自分の頭を通過しただけです。先ほどのキャッシュレス決済の例でいえば、人から勧められるがままに評判のアプリを次々とダウンロードして、スマホ画面が未使用のアプリで埋め尽くされている状態と同じです。こういう人はお店によってアプリを使い分けることもできず、還元されるポイントも分散し、お得な使い方ができないでしょう。ここで大切なことは「自分で選ぶ」ということです。次々に展開される各社の還元キャンペーン狙いでいろいろ試してみるのはアリだと思いますが、自分や周囲(お店)の環境を踏まえて、最も最適な(お得な)アプリに絞り込むことが必要です。世の中にはたくさんの”お得情報”があふれていますが、情報をうのみにせず、自分にとって「本当にお得か?」を常に考えることが大切です。

最後に「想像力」です。必要なインプットをして、批判的な思考で自分に必要なものを選んだ後に必要なのは「次に必要な準備は何か?」を想像することです。変化が激しい時代です。一生懸命考えて「今」の自分に最適な状態を作ったとしても、それが長続きするとは限りません。「次」に来るものを想像して、それに備えることも重要です。そのためには必要な情報を自分から採りに行くこと(=インプット)が必要です。トレンドを先読みし、有益なトレンドに乗ることができれば豊かな人生を送ることができるでしょう。何も考えずに無益なトレンドに”踊らされる”ことだけは避けたいものです。


最後に

「何のために自分の頭で考えるのか?」と問われたら、私は「自由であるため」と答えます。自分の頭で考えられない人は不自由です。なぜなら自分が好きなことができないからです。「別に好きなようにやってるけど」という反論が聞こえてきそうですが、本当にそうでしょうか? 
例えば「グローバルな時代では必要だから」とはじめた英語の勉強。本当にそう思ってますか?あなた自身は本当に英語が必要ですか?本当の理由は「みんながやっているから」ではないですか?
例えば「大企業では自分の能力は発揮できない」といって準備を進めている起業。自分ひとりで人や社会を動かすだけの覚悟とアイデアをもっていますか?就職活動から逃げているだけではありませんか?「これからは起業の時代だ」という書籍や雑誌記事のコピーに踊らされているだけではありませんか?
今の時代、英語も起業もとても有益なものだと思います。しかしすべての人にとって有益とは限りません。自分でその必要性や意義を見出し、目的意識を持って行うからこそ有益なものになるのです。自分の頭で考えずに「みんなやってるから」「流行りだから」という理由で行うことに全く意味はありません。ただの時間の無駄です。その時間は「自分の時間」ではなく「他人に踊らされている時間」です。よくある言い訳として、「いつか」「そのうち」役に立つかもしれないから、というものがありますが、自分の頭で考えず、目的意識のない人に「いつか」や「そのうち」は絶対にきません。ゴールの場所が解っていない人がゴールにたどり着くことは絶対にないからです。

自分の頭で考えない人は簡単に他人に支配されてしまいます。つまり不自由なのです。「英語の時代だ」と言われれば、無目的に英語の勉強をする。「起業だ」と言われれば、とりあえず起業アイデアを考えはじめる。「自粛しろ」と言われれば、文句を言いつつおとなしく自粛する。そこに自分の意思はありません。こんな人生楽しいですか? 私はそうは思いません。自分の人生は自分で創って行きたいと考えています。そのために必要なことはこれしかありません。

 

「自分の頭で考える」

 

 

 

【愚考録】時間の使い方について考えた

いま、自分にとって一番の関心事である「時間の使い方」について、改めて考えてみました。


時間に対する問題意識

時間は有限。1日24時間、年間365日。
人間にとって時間ほど公平な資源は他にないですよね。生まれや環境、お金や資産、性格や才能など、それぞれの人が持っているものは当然違いますが、時間だけはすべての人に公平に与えられています。
その時間をいかに有意義に使うか。これを意識するのとしないのでは、人生の豊かさが圧倒的に違ってくるのではないかと感じています。


いまの時間の使い方

ここで自分の1日の時間割を振り返ってみます。
平日の平均的な睡眠時間は約6時間(0:00~6:00)。よって活動している時間は18時間。このうち8:00~20:00の12時間は勤務時間。したがって通勤時間も含めたプライベートな活動時間は6時間(朝2時間、夜4時間)。さらに食事や入浴等の生活時間を考慮すると、完全に自由な時間は3~4時間ということになります。この時間をいかに有意義に使うか、を考えていきたいと思います。


有意義な時間とは?

今の私にとって、有意義な時間とは以下3つの基準を満たすものです。

   ①新しい体験が得られる時間
   ②収入増加につながる時間
   ③楽しいと思える時間

①は自分の成長、知見の拡大につながるものです。最も重要だと考えています。いまの時代、“情報”はインターネットでいくらでも調べられます。このような環境で価値があるのは「現場、現物、現実」を知っているという“実体験”だと思います。“知っている”というだけではもはや価値はありません。自らの体験を“自分の言葉”で“生々しく”語ることができる人こそが価値が高いといえます。

②は自分をマネタイズするということです。いまの私の収入源は「本業の給与収入」と「小遣い稼ぎのメルカリ」の2本立てですが、今後のことを考えれば多様な収入源を獲得する必要があると考えます。現時点で考えているのは運用と副業。特に副業では①で得た「自分にしか語れないこと」を源泉としてマネタイズすることを考えたいと思います。これについては後段で詳しく検討します。

③は最も根源的なことだと思っています。当たり前ですが、自分の時間は楽しいことに使いたいですよね。楽しくなければ有益なことあっても長くは続けられないので。どんなに①②の基準を満たしていても、楽しいと思えなければやりません。

余談ですが、私にとって最も楽しくないのは「人との交流」です。特に嫌いなのは、研修などでよくありますが、いきなり初対面の人と議論しなければならないような場面です。仕事としてビジネスの話をするのは問題ないのですが、プライベートな雑談や飲み会などが苦手。どうしても楽しいと思えません。対人スキルが高い人は、研修や交流会などを①や③だけでなく②につなげていくのでしょうが、私の場合とにかく“人”が苦手。ライフネット生命創業者の出口治明氏が知見拡大の手段としてよく「人、本、旅」を掲げています。その趣旨には100%同意しますし、「本、旅」は自分も実践していきたいと強烈に思いますが、「人」は絶対に実践できません。私にとっては“人との交流”は苦行でしかないので、克服するつもりもありません。

余談が長くなってしまいましたが、以上3つの基準に照らし合わせて、自分の時間を何に使うべきかを判断したいと思います。

 

時間を確保するためにどうするか?

時間を確保するための鍵は「やらないことを決める」ことだそうです。やりたいことは次々に出てきますが、全部をやる時間は当然ありません。もし時間が無限にあるのなら、やりたいことは全部やればよいでしょう。しかしそんなことはできません。だから時間を確保するためには「やらないこと」を決め、「やるべきでないこと」を減らす必要があります。


やるべきでないことは何か? それは上記①②③の基準を満たさないことです。具体的には、会社の飲み会や電車内の居眠り(①~③のどれも満たさない)、長時間のスマホいじり、特にYouTube(③はありますが、得るものが少なく、たいてい後悔する)、流行りものの資格試験勉強(①はあっても、たいていの場合②③はない)など。 これら時間を減らし、有意義な時間を増やしたい。


では、すべきこと・増やすべき時間は何か? それは基準を(少なくとも)2つ以上満たすものです。具体的には、読書や散歩・旅行、料理、メルカリ。自分の時間はこれらで満たしていきたいと思っています。

 

自分の時間をどう増やすか

ここまでは無駄な時間を減らし、有意義な時間を増やす方向で検討してきました。しかしこれはまあ、普通の考え方ですよね。さらに踏み込んで、自分時間を増やす方法を検討してみたいと思います。


最初に確認したように、いまの私の自由時間は1日3~4時間です。この時間を①②③を満たす有意義な時間にするのは当然として、それ以外の時間(睡眠時間、生活時間、勤務時間)も①②③を満たす時間にすることはできないでしょうか。


この問いに対する、現時点の私の答えは「その時間は自分の分身に働いてもらう」というものです。睡眠時間、生活時間、勤務時間は、物理的に他の活動ができない時間。だから自分の「分身」を創り、分身に①②③の基準を満たす活動をしてもらえば良いのではないかと考えました。いま考えている「分身」の候補は、自分が持っている「お金」と「体験」です。「お金」を投資運用することによって、新たな収益が生まれ(②)、新たな経験も獲得し(①)、儲かれば楽しい(③)。「体験」を誰かにとっての有益なコンテンツに仕上げ(③)、ブログ等で発信することによって(①)、マネタイズする(②)。これらは①②③をすべて満たす新たな挑戦です。


「運用」について、いままで真剣に考えてきませんでした。投資運用は長期戦略が基本ですので、残された時間を考えると、これまでの機会損失は大きいと思われます。投資は失敗することも当然ありますが、そこから得られる知見も大きいと思います。また投資の原資はお金だけとも限りません。「時間を投資する」という考え方もあります。自分時間を有意義なものに投資すれば、有意義なリターンが得られるはずです。


「自分の体験をマネタイズする」は今の自分にとって最大のテーマであり、大きな挑戦です。自分の体験の「何が」「誰にとって」有意義なのか。自分にとっては当たり前(既知)でも、他人にとって当たり前でないもの(未知のもの)。自分は経験済みだが、他人は未経験のもの。これらを探求し、発信していきたいと思います。

【講義拝聴録】『日本3.0 令和時代の生き方』(講師:NewsPicks佐々木紀彦氏)

 

必要なのは「知識、見識、胆識」

 

 

本講義は、NewsPicks佐々木紀彦氏による、令和の時代に求められるスキルや考え方の講義。これからの時代に必要な教養は「経済、文化、テクノロジー」、必要なスキルは「ラーニングストラテジー(自力で学ぶ力」、ソーシャルインテリジェンス(人間力)、システム志向(全体を俯瞰する力)」、必要な思考は「知識、見識、胆識」であると説く。

 

感銘を受けたのは「胆識」という考え方。知識(=インプット)だけでは意味がない。知識を優れた見識(=アウトプット、判断の根拠や軸)に昇華させる必要がある。そして見識を踏まえて行動・実行することで「胆識」が生まれる。胆識は自ら体験しなければ獲得できないもの。自分で行動することが重要。

 

「知識、見識、胆識」がない人間は、これからの時代は人材としてコモデティ化する。豊かな人生にするには、自分の頭で考え、自分の判断で行動することが何よりも重要である。