イエローノート

日々学び、日々遊び、日々挑み、日々成長。自分の学びの備忘録。

【愚考録】無知の知 ~ 学びはなぜ必要か

 

何かの記事で見かけた言葉無知の知。哲学の父といわれるソクラテスの名言です。
言葉自体は知っていましたが、ふと見かけたその言葉の意味を最近噛みしめています。奥が深い言葉だと思います。


無知の知」とは?

無知の知」とは、自分がいかに「わかっていないか」「知らないか」を自覚することです。ソクラテスは「何でも知っている人」より「自分が知らないことを知っている人」の方が優れていると考えました。確かにそう思います。実際、この世の中の物事について「すべてを知っている人」なんているわけがありません。もし仮に「自分はすべてを知っている」と思っている人がいるとしたら、それがその人の限界ということでしょう。「すべて」ということは、知るべきことが有限(数えられる)ということです。「すべて」を知ってしまったら、それ以上知るべきことがないということになります。つまり、その人の限界が来たということです。それ以上の成長は望めません。なんだか屁理屈のような話になってしまいましたが、何を言いたいかというと「井の中の蛙」になってはいけない、ということです。

 

■なぜ「無知の知」が必要か?

井の中の蛙 大海を知らず」という言葉があります。狭い井戸の中で生まれ育った蛙は、自分が住む井戸の中が世界のすべてだと思い込み、外の世界には大きな海があることを知らない=見識が狭い、という中国の古典「荘子」由来の故事成語です。この言葉自体は有名な言葉なので知っている方も多いと思いますが、この言葉に「続き」があることをご存じでしょうか? 私は全く知らず、この言葉について調べるうちに初めて知りました。その続きとは下記のようなものです。

 

 ~井の中の蛙 大海を知らず 

          「されど空の蒼きを知る」
          「されど天の高きを知る」
          「されど地の深さを知る」
          「ただ天の広さを知る」

 

続きの部分は中国由来ではなく、日本に伝わった後に付け加えられたものだそうです。この言葉を知ったとき、私は深い感銘を受けてしまいました。この「続き」について私はこう解釈しました。

確かに井の中の蛙になってはいけない。しかし自分に見えていないものは知りたくても知りようがない(知る術がない)のも事実である。だからこそ「無知の知」を自覚し、謙虚な姿勢で他者の知恵も借りながら、自分の視野を広げる必要がある。視野を広げていれば、新しいものが自然と見えてくる。 

ここまで考えて、井の中の蛙についていろいろと想像してみました。

 

井の中の蛙が大海を知るにはどうすればよいか?

井戸の中にいる蛙が普段目にするものは、井戸の壁や水面だけでしょう。その中でえさとなる虫が飛んでくるのを待っているだけです。(おそらく)蛙の関心事は食べ物だけでしょうから、毎日満足に食べることができれば他のことをする必要はありません。しかし虫が飛んでこなくなると、おなかをすかせた蛙はえさを探し始めます。普段目にしている壁や水面だけでなく、今まで気にもとめなかった壁のすき間や水中も探し始めるかも知れません。虫がどこからやってくるのかを考える始めるかもしれません。そして、ある蛙はふと上を見上げた時に「空の蒼さ」や「天の高さ」に気づくかもしれません。日によって空の色が変わることに気づくかもしれません。雨がふり、井戸の水かさが増えるのは、空の色が黒い時であることに気づくかもしれません。それに気づいた蛙は雲の存在に気づくかもしれません。そしてその雲が何なのか、どこから来るのか、考えはじめるかもしれません。また別の蛙は、水面を泳いでいるときにふと水中を見つめ「地の深さ」に気づくかもしれません。そして底があることにに気づくかもしれません。底から水が湧き出ていることに気づくかもしれません。それに気づいた蛙はその水がどこから来るのかを考えはじめるかもしれません。

この二匹の蛙は、いくら考えても海の存在は想像することすらできないでしょう。しかしある日、外の世界を知っている蛙がこの井戸に飛び込んできたらどうなるでしょう。その蛙が山や川の存在を教えたら? 川が海につながっていることを教えたら? 外からきた蛙にとっては、雨が降り、川が流れ、海に流れ着くことはごく普通の情報かもしれません。しかし井戸の中の蛙にとっては全く未知の情報です。外の世界の存在すら知らなかったのですから。この二匹の蛙は外の世界をみてみたいと思うかもしれません。でもどうやって? 普段であれば井戸が深すぎて外に出ることはできないでしょう。しかしこの二匹の蛙は、雨が降れば水かさが増えることをすでに知っています。空の色の変化によって、雨が降るタイミングを予想できることも知っています。雨の後は底から湧き出る水の量も増えることがあることも知っているかもしれません。それを知っていれば、水かさが増えた時に外に出るための準備ができます。「その時」はいつ来るかわかりません。しかし準備さえできれいれば、チャンスが来た時にそれを実現できる可能性は高まります。十分な準備をしていた二匹の蛙は、台風一過の晴天のもと、外の世界を目にすることができるかもしれません。

この話はすべてが「たられば」です。「可能性はゼロではない」という話です。しかしこの二匹の蛙が「ふと上を見上げなかったら」「ふと水中を見つめなかっらたら」、外の世界を意識することもなく、自力で外に出られる可能性は「ゼロ」です。そもそも外の世界の存在すら知らなかったのですから、外に出ようという動機が生まれるはずがありません。この二匹の蛙も、おなかがすいていなければ新しい行動は何もしなかったでしょう。寿命が来るまで平穏に暮らしたはずです。しかし「えさを探さなければ」という必要に迫られて行動した結果、新しい世界に飛び出す可能性を手にしたのです。あくまで「ゼロではない」可能性ですが。

 

なぜ学びが必要か?

我々人間は考える動物です。高度な思考ができる生き物です。しかし現状に満足してしまっている人(おなかがすいていない蛙)は新たなことを考えることはできません。新しいことに興味・関心がない人に、アイデアの芽となる情報は目に入ってきません。変化が激しい時代です。現状維持は後退を意味します。だからこそ、いま必要なのは「無知の知」を自覚することだと思います。「自分はまだまだ世の中のことがわかっていない」「新しいものをどんどん取り入れたい」というマインドセットがあれば、自然といろんな情報が目に入ってくると思います。情報のコストがものすごく安くなっている時代ですので、必要な情報はいくらでも集められます。ただし、情報を集める(インプット)だけでは不十分です。集めた情報を、自分というフィルターを通して活用(アウトプット)することが大切です。アウトプットして初めて「情報」が「知恵」になります。

アウトプットとは行動することです。実際にやってみる、実物を食べてみる、現地に行ってみる、現物を使ってみる、意見を誰かに話してみる、自分の頭で解決方法を考えてみる、などなどなど。とにかく「自分の体と頭」を使って経験することです。見て、聞いて、読んで(=インプットして)終わりではなく、自分でも行動する(アウトプットする)ことが大切です。何度も言いますが、その経験値が「知恵」になります。変化が早く、激しい時代ですので、「自分の知恵」を持っていないと、世の中の激しい動きに翻弄されてしまい、豊かな人生を送れないのではないでしょうか。

例えば「キャッシュレス決済」。2020年9月現在、使えるお店や使う人はかなり増えてきたと思いますが、それでも普及率(実利用率)は3~4割程度ではないでしょうか(私の体感ですが)。私の生活圏は東京都内~横浜ですが、大都市圏でもこれぐらいですので、全国的にはまだまだなのだと思います。なぜ普及しないのでしょうか? 日本人は現金志向が根強いとよく言われますが、本当にそうなのでしょうか。私の周囲で見聞きする範囲で言えば、使わない理由は「トラブルや犯罪が怖い」「仕組みがよくわからない」「アプリ等を準備するのが面倒」「なんとなくイヤ」というものが多いように感じます。いずれも「現金の方が便利・効率的」という積極的な理由ではなく、「なんとなく不安」という情緒的なものです。これはお店側でも利用者側でも同じです。こういう話を見聞きすると、私はいつも「一回使って見ればいいのに」と思ってしまいます。合理的に考えれば、キャッシュレス決済を使わない理由はないのではないでしょうか(簡単、手軽、お得、早い、衛生リスクも軽減)。それでも使わないのは「使ってみた」「簡単だった」「得した」という経験がない(経験しようとしない)からだと思います。経験がなければ「よくわからない」のも「なんとなく不安」なのも当然です。「トラブルや犯罪が怖い」というのもわからなくはないですが、実際どれだけのトラブルが起こっているでしょうか。トラブルや犯罪に巻き込まれる可能性はゼロではないですが、それは現金でも全く同じです。「よくわからない」「なんとなく不安」という理由で何も行動しなければ、その間に世の中はどんどん先に進んで行ってしまいます。気が付いた時(やっと使って見ようと思った時)には、世の中ではさらに新しいサービスが生まれ、既存サービスが陳腐化してしまい、全くメリットが得られないという事態になることが容易に想像できます。少しでも使った経験があれば、サービスの仕組みを理解でき、「簡単、便利」「使うと楽しい」「でもここが使いずらい」「もっとこうすればもっと良いのに」という感想が生まれます。こういう経験がその分野のリテラシーを高めることにつながります。

私が考える「学び」とは「経験値を増やすこと」です。学校やセミナー、教科書などで勉強することだけが学びではありません。とにかく自分で経験してみること。そのすべてが学びだと思っています。自分の経験値を積み上げていって、自分なりの考え方や行動の仕方をアップデートしていく。幸せの基準は人それぞれですが、私の感覚では、自由で楽しい人生を送るには学び続けること(=無知の知を自覚すること)が不可欠だと思います。

 

最後に名言をもう一つ。

 

実るほど頭を垂れる稲穂かな

 

いろいろな解釈があると思いますが、私はこの言葉を「成熟した人ほど、謙虚な姿勢で様々なことを学び、さらに成長することができる」と解釈しています。ぜひこうありたいと思っています。